整体を広めた野口晴哉は、愉気(ゆき)という考え方を提唱しました。
いわゆる「気」というもので、目に見えるものではないが、五感の感覚器官で感じるものでもない、生命のエネルギーのようなものを指します。
気というと宗教的だったり非科学的で信じがたい人も多いかもしれませんが、気の存在で説明したほうがわかりやすいこともあるでしょう。
例えば火事場の馬鹿力ということわざで表されるように、普段は足腰が弱って歩けなかったようなお年寄りが、自宅が火事になったらものすごいスピードで大事な家財道具を抱えて逃げ出した、というようなエピソードがあります。
野口はこういったエピソードから、もともと「足腰が弱っていて歩けなかった」のは、筋肉や骨格の機能として歩けなかったというわけではないと考え、人を動かすのは「気」「勢い」であると考えました。
私たちの身近でも、大好きな仲間たちと話して夜通し騒いでも全然疲れなかったり、必死になって仕事をしていたら気がついたら夜中になっていて食べるのを忘れていても元気だった、など、気持ち次第で肉体の感覚が変わった経験は豊富にあるでしょう。
また、トイレに行きたい、と考え出すとますますトイレが近くなったり、お腹が減ったと気づくとますます空腹感を感じるというように、「気」にはどこかに集中するという性質があります。
愉気法では、この気をコントロールし、自由に集めたり人に与えたりするようなことを目指して訓練を行っていきます。
生き物は気を感じ合う
気は、自分自身の中で循環したり集まるものではなく、生き物同士であれば気を感じあえる、感応すると考えました。
この法則を利用して、人に対して愉気することによって身体の不調を直したり、大きな花を咲かせたり、魚や馬を元気にしたりというようなことができると考えられました。
具体的には、他人の身体に自分の気を相手に送るつもりで、気を込めて息を送る、という方法で他人や他の動物に気を送ることができるとしています。触れていても、触れていなくても可能だということです。
このように、野口は人は気のエネルギーが大きく影響していると考え、この考えをベースに観察の結果様々な体癖の分類やそれぞれの対処法などを編み出していきました。